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『盲導犬の物語〜アイメイトは対等なパートナー〜』 (2)初の国産盲導犬使用者、河相洌さんに聞く

『盲導犬の物語〜アイメイトは対等なパートナー〜』 は、アイメイト後援会員で、「アイメイト・サポートカレンダー」の撮影をしているフォトジャーナリストの内村コースケが、『WAN』(緑書房)で2015年7月号より連載中のアイメイトを中心とした盲導犬事情を解説する連載記事です。視覚障害者の方が紙媒体の記事を直接読むのは困難だという事情を考慮し、緑書房様の了承を得て、随時こちらにも同様の内容を掲載しております。

※レイアウトは本ブログ独自のものです。
※雑誌掲載時と記事の内容が細部で異なる場合があります。
※記事・写真の無断転載は固くお断りします。


【第2回】初の国産盲導犬使用者、河相洌さんに聞く

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(左)現役当時のチャンピイと、河相さん・玲子夫人(右)河相さんご夫妻(2012年6月)

失明を知らされても「どこかに出口はある」

第一回でも触れましたが、今につながる日本の盲導犬の歴史は、第二次世界大戦後間もなく、現在の「(公財)アイメイト協会」の創設者、故・塩屋賢一の手によって始まります。賢一は、終戦後すぐに手に入れたメスのジャーマン・シェパード『アスター』やその子の『バルド』、『ナナ』と目隠しをして生活しながら、盲導犬の育成法を完成させます。そして、1957年に初めて実際に視覚障害者のパートナーとして社会に巣立ったのが、『チャンピイ』(G・シェパード、♂)です。

その使用者の河相洌(きよし)さんは、外交官だった父の赴任先のカナダ・バンクーバーで生まれ、戦前・戦中は中国大陸で過ごしました。戦後、慶応義塾大学に進学しましたが、戦時中の重労働や心労がたたり、在学中に視力を完全に失ってしまいました。

「医者から見えなくなることを知らされた時、『これで自分の人生はおしまいだ』なんていうふうには全然思わなかった。『どこかに出口はある』と僕は考えた。落ち込む暇などなかったんですよ」と、現在87歳の河相さんは語ります。

治療に専念するために大学を中退していた河相さんでしたが、その「出口」を大学教育に求め、復学を決意。当時は視覚障害者が大学で学ぶという先例や社会通念はほとんどありませんでした。それでも、粘り強く交渉した結果、理解ある教授の後押しも得られ、文学部哲学科への復学を勝ち取たのです。

「読むこと、書くことは点字があり、このごろは様々な機器が発明され、ある程度解消されてきています。盲人にとって一番やっかいな問題は歩行です。当時は『杖一本で歩く』という方法しかなく、江戸時代と変わらなかったのです」

河相さんは次に、「歩行の自由」を得ることに自立の活路を見出しました。その手段として熱望したのが、子供の頃から海外で活躍していることを知っていて、憧れていた盲導犬だったのです。そのことを、父の河相達夫さんがあるパーティーで愛犬家の米軍大佐に話したところ、「この子を盲導犬にしたらどうか」と譲り受けた子犬が、ショーのチャンピオン犬の血筋を持つ『チャンピイ』でした。

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1957年当時の塩屋賢一(左)と河相さん、チャンピイ


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1957年夏、塩屋賢一(左端)の歩行指導を受ける河相さんとチャンピイ

「さようなら、チャンピイ。河相さんを頼んだぞ」

河相さんは、日本で一人だけ盲導犬を育てることができる人物がいるという噂を頼りに、塩屋賢一に面会。チャンピイの訓練を依頼します。そして、大学を卒業し、盲学校の教師になった1956年、1歳のチャンピイを賢一に預けました。当時の河相さんの赴任先は滋賀県彦根市。賢一は、東京・練馬で家庭犬の訓練所を営んでいました。その業務と併行して賢一はチャンピイと寝食を共にし、一年間かけて盲導犬としての訓練を施しました。

「その当時、学校の仕事が忙しくてなかなか東京の実家に帰れず、チャンピイにも会えませんでした。翌年の夏休みに訓練を終えたチャンピイに久しぶりに会うと、とにかく素晴らしい、こちらの命令一つによって完璧に動く犬になっていました」と 、河相さんは述懐します。そして、夏休みの帰省を利用して今度は河相さん自身がチャンピイと共に歩くための歩行指導を受け、1957年8月、「国産盲導犬第一号」のペアが誕生しました。

チャンピイと共に彦根に戻った河相さんは、毎日チャンピイと自宅から15分ほど歩いて学校に通いました。教壇にも一緒に並び、チャンピイはたちまち子どもたちの人気者になります。「杖一本で歩くのとは全くが違いました。『この子がいる限りは自分は大丈夫だ』という安心感があるのです。だから、歩くことが非常に楽しくなり、それまでのように外出が苦痛でなくなりました。チャンピイが来てからは、歩行がむしろ快適になったくらいでした」

河相さんは当初、チャンピイとの歩行や日々の生活の中で困ったことや疑問点があるとメモをして『チャンピイ通信』としてまとめ、賢一に送りました。それを見た賢一は、しばらくしてこっそり彦根に様子を見に行きます。通学路の木の影に隠れて待っていると、やがて二人がやってきました。チャンピイは育ての親がすぐそばにいることに気づきましたが、チラッと賢一の顔を見ただけでまっすぐ前を向いて歩き続けました。その姿を見て、賢一はチャンピイが独り立ちしたことを確信し、「さようなら、チャンピイ。河相さんを頼んだぞ」とつぶやいたといいます。

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滋賀県彦根市の盲学校で教壇に立つ河相さんとチャンピイ

河相さんと歩んだ4頭の犬たち

町をさっそうと歩き、盲学校の教壇に立つ河相さんとチャンピイの様子は、「日本初」とあって、新聞や雑誌の取材も多く受けました。賢一も二人の成功に力を得て、2頭目、3頭目と次々と盲導犬を世に送り出して行きました。

河相さんはその後、チャンピイとともに静岡県浜松市の盲学校へ転勤。チャンピイは12歳でフィラリアで亡くなる直前まで河相さんのパートナーとして活躍しました。その後、河相さんはチャンピイの子『ローザ』とペアを組みます。「盲導犬」が「アイメイト」となり、犬種がラブラドール・レトリーバーに切り替わった後も、『セリッサ』、『ロイド』と歩きました。河相さんにとって最後のアイメイトとなった『ロイド』は、2年前、引退したアイメイトを預かるリタイア犬奉仕家庭で16歳8ヶ月の長寿をまっとうしました。河相さんご自身は現在、奥様と2人、浜松市内の老人養護施設で暮らしています。

河相さんは今、歴代のパートナーについて、次のように語ります。

「二代目のローザは、チャンピイとプランダーという盲導犬の間の子です。プランダーというのはちょっと落ち着きのない犬で、僕はあまり買っていなかったのだけど、塩屋さんがチャンピイのお嫁さんに選びました。その子のローザは、盲導犬としての能力はチャンピイよりは落ちたかもしれませんが、仕事もできて、性格的には非常に可愛らしい犬でしたね」

「セリッサは、黒のラブラドール・レトリーバー。シェパードは盲導犬として非常に優秀でしたが、訓練する側に高い能力が求められる面もありました。そのため、盲導犬の普及と相まって、1970年代までに平均的に能力が高く性格も温和なラブに切り替わっていきました。僕の見方からすれば、ラブはシェパードに比べて遊び癖があるのですが、その当時から盲導犬と電車やバスに乗れるようになったこともあり、セリッサは4頭の中で一番仕事をしてくれました」

「ロイドは僕が職を退いて71歳の時に来た犬。体が大きく、頭が良くて穏やかな性格でした。四頭の中で一番のんき者というか、ちょっとしたことでは動じないワンちゃんでしたね。アイメイトとして非常に良い性格だったと思います」

そして、チャンピイについては次のように思いを語ります。

「みんなぞれぞれ個性がありますが、総合的な盲導犬としての能力を比べてみれば、やはりチャンピイが頭一つ抜けています。一言で言えば忠実。同時に、判断力、大胆さといった点でもチャンピイは群を抜いていた。自分で判断してこれと思ったら大胆に行動できる犬でしたし、忍耐力も高かった。もちろん、塩屋さんの訓練の成果なのですが、チャンピイのもともとの性格も大きかったと思います。その点で、日本の盲導犬の歴史にとって、チャンピイから始まったというのは大きな弾みになったと思います」

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国産盲導犬第一号ペアが巣立った1957年から半世紀後の2007年、再会した塩屋賢一(左)と河相さん、『ロイド』

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現役の歩行指導員の訪問を受け、当時のことや現在のアイメイト育成事業に対する思いを語る河相さん(2015年9月)

※WAN(緑書房) 2015年9月号掲載

盲導犬とこの連載について
●盲導犬は「盲人を導く賢い犬」ではなく、「視覚障害者との対等なパートナー」である
●日本には11の独立した盲導犬育成団体があり、それぞれ育成方針や盲導犬歩行の定義が異なる
●「アイメイト」は、(公財)アイメイト協会出身の盲導犬の独自の呼称。この連載はおもにアイメイトに絞って話を進める


内村コースケ
フォトジャーナリスト。新聞記者・同カメラマンを経てフリーに。「犬」や「動物と人間の絆」をメインテーマに、取材・撮影を行い、なかでも「アイメイト」の物語は重要なライフワーク