『盲導犬の物語〜アイメイトは対等なパートナー〜』 (1)盲導犬について知っておいてほしいこと
『盲導犬の物語〜アイメイトは対等なパートナー〜』 は、アイメイト後援会員で、「アイメイト・サポートカレンダー」の撮影をしているフォトジャーナリストの内村コースケが、『WAN』(緑書房)で2015年7月号より連載中のアイメイトを中心とした盲導犬事情を解説する連載記事です。視覚障害者の方が紙媒体の記事を直接読むのは困難だという事情を考慮し、緑書房様の了承を得て、随時こちらにも同様の内容を掲載しております。
※レイアウトは本ブログ独自のものです。
※雑誌掲載時と記事の内容が細部で異なる場合があります。
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※記事・写真の無断転載は固くお断りします。
【第1回】 盲導犬について知っておいてほしいこと
「盲導犬」は「盲人を導く犬」ではない
皆さんは「盲導犬」という言葉にどういうイメージを抱くでしょうか?字面をそのまま捉えれば、「盲人を導く犬」ということになります。世間一般の認識は、それに当たらずといえども遠からずだと思います。“日本の盲導犬の父”、故・塩屋賢一はこう言っています。
「『盲導犬』という言い方は、どうも違っている。利口な犬が盲人を導いているという印象を与えがちだが、そうではない」
実際の歩行では、広い意味で“何も見えていない”人を賢い犬が誘導しているわけではありません。使用者である視覚障害者は、行きたい場所までの道順を事前に覚え、頭の中に描いた地図をもとに、犬に「ゴー(出発)」「ストレート(直進)」「ライト(右)「レフト(左)」「ブリッジ(階段を探せ)」といった指示を与えて目的地まで歩きます。その際、犬は障害物を避けたり、道の分岐や段差で止まるなどして歩行をサポートします。急な車の飛び出しがあった時などには、指示に背いてでも止まったり後ずさりする自発的な判断も要求されます。
だから、犬が主体となって人を導いているわけでも、人の命令に犬がロボットのように絶対服従しているのでもないのです。両者は「対等なパートナー」だと言えます。この点から、塩屋賢一は『アイメイト』という呼称を生み出しました。「EYE・目・愛、I・私」「MATE=仲間」を組み合わせた「対等なパートナー」を表す造語です。
日本には11の盲導犬育成団体がありますが、塩屋賢一直系の『(公財)アイメイト協会』は、協会出身の犬を「アイメイト」と呼んでいます(他は一般名詞・固有名詞の区別なく「盲導犬」)。ちなみに、英語で「盲導犬」に相当する呼称は「Guide Dog」ですが、アメリカで突出した実績を誇る『The Seeing Eye inc』は、塩屋賢一と同様の考えから、自らが育成した犬たちを『Seeing Eye Dog』と、誇りを込めて呼んでいます。他にも『Leader Dog』といった固有の呼び名があります。
こうした事情を踏まえ、この連載でもアイメイト協会出身の犬を『アイメイト』と呼び、その他の育成団体出身の犬と一般名詞に「盲導犬」を用いることとします。
「アイメイト」と「盲導犬」の違い
もう一つの大きな誤解は、「盲導犬は皆同じような能力を持っている」というものでしょう。前述の通り、現在、国内だけでも11の育成団体がありますが、「北海道」「関西」「九州」など地域名を冠した団体が多いので、『日本盲導犬協会』のもとに全国各地に地域支部があるのだと誤解している方も結構多いです。実際は、それぞれ独立した別の団体で、歴史、実績、犬の育成法なども異なります。実は、先に書いた「対等なパートナーとしての歩行」も、正確に言えば「盲導犬歩行」ではなく、アイメイトに限った場合の「アイメイト歩行」の説明になります。
たとえば、「ストレート」「ライト」「ブリッジ」などの指示にも、団体によって言葉そのものや意味が違う場合もあります。そうしたディテールの違いだけなら、門外漢の私たちが特に気にすることではないかも知れません。あるいは、言葉だけならどうとでも言えるような理念の違いも、こだわるポイントではないかも知れませんね。でも、「盲導犬歩行の定義が違う」としたらどうでしょう?
『アイメイト協会』では、「全盲者が晴眼者の同行や白杖の併用なしで犬とだけで単独歩行できる」のがアイメイト歩行だとしています。犬の訓練やアイメイト歩行を希望する人への歩行指導も、それを目指して行い、その条件を満たしたと判断されたペアだけが社会に巣立ちます。一方、他団体では『アイメイト協会』では認めていない「白杖との併用」「全盲ではない視覚障害者の使用」を認めていたり、原則として目が見えている人の同行が必要だったり、歩くことのできる場所に限りがある場合もあります。
これらの違いは、主に盲導犬の歩行の解釈の違いによるものですが、「結果的にそうなっている」といったあいまいなものもあるようです。何が正しく、何が間違っているとは言えません。犬が人間の素晴らしいパートナーでることには変わりはありません。だから、私は単純な優劣をつけたくはありません。しかし、各団体によって「違う」ことは確かですし、その違いは恐らくは事情をよく知らない人が思っているよりもずっと大きいと私は考えています。ですので、一般名詞として盲導犬を一括りに語ると、事実を見誤ることになってしまいます。そのため、この連載では盲導犬を語るというよりは、基本的に『アイメイト』を語る形を取らせていただきたいと思います。
前述のような日本の不安定な盲導犬事情を鑑み、視覚障害者の歩行の自由度という意味では、「どこへ行っても犬とだけで単独歩行ができる」アイメイト歩行が、最も質が高いと私は考えます。また、それが世界標準だと考えるのが、客観的に妥当だと思います。だから、矛盾を孕んだ言い方ですが、私は意識的に「アイメイト」を選んでこの国の盲導犬事情を取材してきました。
塩屋賢一とアスター
盲導犬の訓練法を確立するため、目隠しをして町を歩く塩屋賢一
国産盲導犬第1号のペアとなった河相洌(かわい・きよし)さんとチャンピイ
戦後すぐに動き出した日本の盲導犬の歴史
今につながる日本の盲導犬の歴史は案外古く、その最初の一歩は終戦直後に遡ります。塩屋賢一は海軍から復員してすぐにメスのジャーマン・シェパード、『アスター』を手に入れ、後にこのアスターやその子の『バルド』『ナナ』と共に独学で盲導犬の育成法を編み出します。賢一は、子供の頃から大の犬好きで、終戦後に念願叶って家庭犬の訓練所を開き、おもに米軍将校ら金持ちの犬を訓練しました。そして、「もっと世の中の役に立つ事をしたい」と、併行して独自に盲導犬訓練の研究を重ねたのです。まだ日本では盲導犬そのものがほとんど知られていない時代。使用を希望する人が出てくるかどうかも分からない中で、自ら目隠しをして生活をし、アスターらと街に出ては体当たりで盲導犬の訓練法や定義を確立していきました。
それから約10年後、噂を聞いて賢一を頼ってきたのが、当時慶応大学の学生だった河相洌(きよし)さんでした。戦時中の重労働がたたって失明し、なんとか愛犬の『チャンピイ』(G.シェパード)を盲導犬にして欲しいと頼んで来たのです。河相さんの父はオーストラリア公使も務めた外交官で、自身もカナダ生まれ、中国大陸育ちの今で言う帰国子女でした。そうした生い立ちから、アメリカやヨーロッパで既に活躍していた盲導犬の存在を子供の頃から知っていたのです。もともと犬が好きだということもあって、失明後、自立を考えた際に、ぜひチャンピイと共に歩きたいと思ったのも自然な成り行きだったのかも知れません。
チャンピイと河相さんは、塩屋賢一の元で訓練・歩行指導を受け、1957年に「国産盲導犬第一号」(この時はまだ『アイメイト』という呼称は生まれていません)ペアとなります。次号は、そこに至る過程と、河相さんとチャンピイの話をもう少し詳しく掘り下げていきたいと思います。
※『WAN』(緑書房)2015年7月号掲載
盲導犬とこの連載について
●盲導犬は「盲人を導く賢い犬」ではなく、「視覚障害者との対等なパートナー」である
●日本には11の独立した盲導犬育成団体があり、それぞれ育成方針や盲導犬歩行の定義が異なる
●「アイメイト」は、(公財)アイメイト協会出身の盲導犬の独自の呼称。この連載はおもにアイメイトに絞って話を進める
内村コースケ/フォトジャーナリスト。新聞記者・同カメラマンを経てフリーに。「犬」や「動物と人間の絆」をメインテーマに、取材・撮影を行い、なかでも「アイメイト」の物語は重要なライフワーク
【第1回】 盲導犬について知っておいてほしいこと
「盲導犬」は「盲人を導く犬」ではない
皆さんは「盲導犬」という言葉にどういうイメージを抱くでしょうか?字面をそのまま捉えれば、「盲人を導く犬」ということになります。世間一般の認識は、それに当たらずといえども遠からずだと思います。“日本の盲導犬の父”、故・塩屋賢一はこう言っています。
「『盲導犬』という言い方は、どうも違っている。利口な犬が盲人を導いているという印象を与えがちだが、そうではない」
実際の歩行では、広い意味で“何も見えていない”人を賢い犬が誘導しているわけではありません。使用者である視覚障害者は、行きたい場所までの道順を事前に覚え、頭の中に描いた地図をもとに、犬に「ゴー(出発)」「ストレート(直進)」「ライト(右)「レフト(左)」「ブリッジ(階段を探せ)」といった指示を与えて目的地まで歩きます。その際、犬は障害物を避けたり、道の分岐や段差で止まるなどして歩行をサポートします。急な車の飛び出しがあった時などには、指示に背いてでも止まったり後ずさりする自発的な判断も要求されます。
だから、犬が主体となって人を導いているわけでも、人の命令に犬がロボットのように絶対服従しているのでもないのです。両者は「対等なパートナー」だと言えます。この点から、塩屋賢一は『アイメイト』という呼称を生み出しました。「EYE・目・愛、I・私」「MATE=仲間」を組み合わせた「対等なパートナー」を表す造語です。
日本には11の盲導犬育成団体がありますが、塩屋賢一直系の『(公財)アイメイト協会』は、協会出身の犬を「アイメイト」と呼んでいます(他は一般名詞・固有名詞の区別なく「盲導犬」)。ちなみに、英語で「盲導犬」に相当する呼称は「Guide Dog」ですが、アメリカで突出した実績を誇る『The Seeing Eye inc』は、塩屋賢一と同様の考えから、自らが育成した犬たちを『Seeing Eye Dog』と、誇りを込めて呼んでいます。他にも『Leader Dog』といった固有の呼び名があります。
こうした事情を踏まえ、この連載でもアイメイト協会出身の犬を『アイメイト』と呼び、その他の育成団体出身の犬と一般名詞に「盲導犬」を用いることとします。
「アイメイト」と「盲導犬」の違い
もう一つの大きな誤解は、「盲導犬は皆同じような能力を持っている」というものでしょう。前述の通り、現在、国内だけでも11の育成団体がありますが、「北海道」「関西」「九州」など地域名を冠した団体が多いので、『日本盲導犬協会』のもとに全国各地に地域支部があるのだと誤解している方も結構多いです。実際は、それぞれ独立した別の団体で、歴史、実績、犬の育成法なども異なります。実は、先に書いた「対等なパートナーとしての歩行」も、正確に言えば「盲導犬歩行」ではなく、アイメイトに限った場合の「アイメイト歩行」の説明になります。
たとえば、「ストレート」「ライト」「ブリッジ」などの指示にも、団体によって言葉そのものや意味が違う場合もあります。そうしたディテールの違いだけなら、門外漢の私たちが特に気にすることではないかも知れません。あるいは、言葉だけならどうとでも言えるような理念の違いも、こだわるポイントではないかも知れませんね。でも、「盲導犬歩行の定義が違う」としたらどうでしょう?
『アイメイト協会』では、「全盲者が晴眼者の同行や白杖の併用なしで犬とだけで単独歩行できる」のがアイメイト歩行だとしています。犬の訓練やアイメイト歩行を希望する人への歩行指導も、それを目指して行い、その条件を満たしたと判断されたペアだけが社会に巣立ちます。一方、他団体では『アイメイト協会』では認めていない「白杖との併用」「全盲ではない視覚障害者の使用」を認めていたり、原則として目が見えている人の同行が必要だったり、歩くことのできる場所に限りがある場合もあります。
これらの違いは、主に盲導犬の歩行の解釈の違いによるものですが、「結果的にそうなっている」といったあいまいなものもあるようです。何が正しく、何が間違っているとは言えません。犬が人間の素晴らしいパートナーでることには変わりはありません。だから、私は単純な優劣をつけたくはありません。しかし、各団体によって「違う」ことは確かですし、その違いは恐らくは事情をよく知らない人が思っているよりもずっと大きいと私は考えています。ですので、一般名詞として盲導犬を一括りに語ると、事実を見誤ることになってしまいます。そのため、この連載では盲導犬を語るというよりは、基本的に『アイメイト』を語る形を取らせていただきたいと思います。
前述のような日本の不安定な盲導犬事情を鑑み、視覚障害者の歩行の自由度という意味では、「どこへ行っても犬とだけで単独歩行ができる」アイメイト歩行が、最も質が高いと私は考えます。また、それが世界標準だと考えるのが、客観的に妥当だと思います。だから、矛盾を孕んだ言い方ですが、私は意識的に「アイメイト」を選んでこの国の盲導犬事情を取材してきました。
塩屋賢一とアスター
盲導犬の訓練法を確立するため、目隠しをして町を歩く塩屋賢一
国産盲導犬第1号のペアとなった河相洌(かわい・きよし)さんとチャンピイ
戦後すぐに動き出した日本の盲導犬の歴史
今につながる日本の盲導犬の歴史は案外古く、その最初の一歩は終戦直後に遡ります。塩屋賢一は海軍から復員してすぐにメスのジャーマン・シェパード、『アスター』を手に入れ、後にこのアスターやその子の『バルド』『ナナ』と共に独学で盲導犬の育成法を編み出します。賢一は、子供の頃から大の犬好きで、終戦後に念願叶って家庭犬の訓練所を開き、おもに米軍将校ら金持ちの犬を訓練しました。そして、「もっと世の中の役に立つ事をしたい」と、併行して独自に盲導犬訓練の研究を重ねたのです。まだ日本では盲導犬そのものがほとんど知られていない時代。使用を希望する人が出てくるかどうかも分からない中で、自ら目隠しをして生活をし、アスターらと街に出ては体当たりで盲導犬の訓練法や定義を確立していきました。
それから約10年後、噂を聞いて賢一を頼ってきたのが、当時慶応大学の学生だった河相洌(きよし)さんでした。戦時中の重労働がたたって失明し、なんとか愛犬の『チャンピイ』(G.シェパード)を盲導犬にして欲しいと頼んで来たのです。河相さんの父はオーストラリア公使も務めた外交官で、自身もカナダ生まれ、中国大陸育ちの今で言う帰国子女でした。そうした生い立ちから、アメリカやヨーロッパで既に活躍していた盲導犬の存在を子供の頃から知っていたのです。もともと犬が好きだということもあって、失明後、自立を考えた際に、ぜひチャンピイと共に歩きたいと思ったのも自然な成り行きだったのかも知れません。
チャンピイと河相さんは、塩屋賢一の元で訓練・歩行指導を受け、1957年に「国産盲導犬第一号」(この時はまだ『アイメイト』という呼称は生まれていません)ペアとなります。次号は、そこに至る過程と、河相さんとチャンピイの話をもう少し詳しく掘り下げていきたいと思います。
※『WAN』(緑書房)2015年7月号掲載
盲導犬とこの連載について
●盲導犬は「盲人を導く賢い犬」ではなく、「視覚障害者との対等なパートナー」である
●日本には11の独立した盲導犬育成団体があり、それぞれ育成方針や盲導犬歩行の定義が異なる
●「アイメイト」は、(公財)アイメイト協会出身の盲導犬の独自の呼称。この連載はおもにアイメイトに絞って話を進める
内村コースケ/フォトジャーナリスト。新聞記者・同カメラマンを経てフリーに。「犬」や「動物と人間の絆」をメインテーマに、取材・撮影を行い、なかでも「アイメイト」の物語は重要なライフワーク
by eymategoods
| 2016-02-21 23:20
| 連載記事「盲導犬の物語」